忘却の彼方へ
昨日は今日子さんにSDカードの捜索を頼んでてうっかり夜になってしまったので、ああ全部忘れちゃうのかと思っていたら、愛の力で俺の事だけ覚えていて二人はめでたくゴールイン……という妄想をしていたので更新ができませんでした。
ふと思うのだけれど。
この言い訳シリーズ、要る?
自分の周辺以外は全部つくりものである
前に世にも奇妙な物語で、タイトルのような話を見たことがある。
自分の見えていない世界は実は存在しなくて、通過した途端に崩れて消え失せる、というもの。人が認識できるのは、自分が見て聞いて感じることの出来る範囲だけだから例えば真後ろの風景が瞬間どうなっているのかなんてわからないわけだ。ひょっとしたら、見えないのだから必要ないと真っ黒に塗りつぶされているかもしれない。
そう、いま自分の身に起きている現象もそれに似たものなのだと思う。
当ブログの最終更新日は日曜日。
今日は火曜日。
月曜日の更新がされていない?
おや?
知らぬ間に二日たってやがる!
なんだこの不思議現象は。
昨日を過ごした記憶が希薄だ。いったい何がどうした。
恐ろしい。きっと当ブログの毎日更新を阻もうとする某組織の陰謀だろう。
気付いていないからと日付を進ませてしまうとは。
なんという技術力。恐るべし。
メイド・クーセイ
本日は面倒臭いので更新はお休みです。どうぞよしなに。
ところで、面倒臭いとは誰が言い始めたのか。面倒はどう考えても臭くはない。匂いすらしない。何がどう臭いのか。
はっ、もしや「メドが臭い」→「メドがめっちゃ臭い」→「メドが死ぬほどめっちゃ臭い」→「メドがウルトラスーパーミラクル死ぬほどめっちゃ臭い」→「面倒臭い」になったのだろうか。なるほど、メドならば臭くて当然である。昔の人はすげぇな。
そしてよいこはメドをよく洗うように。約束だぞ。
掟上今日子(ドラマ)は西尾維新ぽくなかったなあ、と。
掟上今日子の備忘録で、セリフが西尾維新ぽいという意見を目にしたが、自分としてはその逆、西尾維新ぽさを感じさせないセリフ回しだったように思うわけで、そもそも西尾維新といえばその独創的というか独善的というか、寧ろ独断専行型と言ってしまってもいいものか、とにかく奇妙なほどに奇怪で鬼畜なまでに奇をてらった文章を隅々までしたためるものなのだが、それが決して嫌味に感じることはなく、音を意識して、時折言葉遊びにも似た言い回しを交えながら的確に物事を指し示す言葉を抽出する、それが西尾維新の文章であり、登場人物が放つ独特なセリフであるはずなのだが、そんな特徴的な言い回しはまるで見られなかったのである。
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というようななかなか句点が出て来なくて、くどいセリフ回しがなかったなあ、と。化物語の見過ぎかな。
×印の向こう側
http://news.mynavi.jp/news/2015/10/14/002/
聲の形がアニメ化だと思っていたら、なんと劇場版だそうな。
全7巻だから1クールでやるにはちょっと短い気はするけど、映画で二時間近い枠だと少し長い気はする。映画できっちりやるならそっちのほうが期待できるかな。
失礼な話だけど、シリアス行けるんかな。監督違うけどユーフォニアムの十倍シリアスでキツい。けいおんのほんわかなイメージが強いから不安にはなる。
原作のいじめの描写はリアルでけっこうキツいから、その辺をマイルドにしてしまわないか些か心配。生々しいほうが展開に生きてくると思うんだけどな。
けいおんの監督が心を鬼にできるか。そこがポイントだと思う。監督がんばって。